【読書】禅と日本文化
禅ってあれでしょ、とか言っちゃう?
みなさん禅って良く知らないけど、ついつい禅問答を分析してこういうものでしょって考えて禅についてあまり踏み込まずに放置していませんか。少し古いですが、ジョブズが影響を受けたと公言していますから、結構興味をもってる人多いと思うんですよね。
ところで、この本を書いたのは鈴木大拙という近代の文学博士(仏教学者)です。禅関係の知識を得たいと思うなら必ず通る名前でしょう。序文から友人の西田幾多郎(こちらも超有名な日本の哲学者)が文章を書いており、文中で私の思想は君に負うところが大きいとまで言わしめている。哲学者にここまで言わせるほど、鈴木大拙は学才豊かで洞察力に富む人物でした。また、他の友人からも君は私が養うから学問をやれと言われるほどでした。
そんな彼が書いたこの本ですが、実は海外に向けて英語で書かれた本であり、訳者である北川桃雄さんの丹念によってできあがりました。鈴木大拙曰く、「たいていは吾意をえている。だいたいの意向が汲みとられれば、それでよい。かならずしも学術的正確性を期せぬ。」ということだ。
つまり、この本は禅とは何かということを欧米人にもわかるような講演を元に書かれているため、禅そのものへの入門書として比類なきものと評されているのです。理解するのが難解と言われる禅ですが、その最高の案内書というわけです。これがどうして名作じゃないことがありましょうか。
また、ジョブズが影響を受けるように芸術性とも関連の高い内容で、とくに今でこそ理解が浅くなってきている「わび」「さび」についても、この本を読むだけでしっかりと理解できるようになっています。これは下に書きますが、2章に相当する部分を読み込めばいいだけです。
入門書っていうけどぶっちゃけ難しめだよ
これはまぁしょうがないと思う。その代わり解説は明晰でこれ以上ない解説だなぁと感嘆するほどです。でも単語とか難しいよね。
目次はというと、
- 第一章 禅の予備知識
- 第二章 禅と美術
- 第三章 禅と武士
- 第四章 禅と剣道
- 第五章 禅と儒教
- 第六章 禅と茶道
- 第七章 禅と俳句
この7章だてになっており、禅への理解を深めた上で、次は美術や武士道や茶道の勉強に向かうこともできます。僕がこの本を買ったのは24歳くらいの時期でしたが、最近になってやっと「茶の本」も読み終えました。そういうのと比べると、やっぱり鈴木大拙の本はわかりやすいなという感想もありましたね。
実際、禅って結構面白いところがあるじゃないですか。そうした面白い逸話から解説してくれるので、少し難しくても読んでいて楽しいです。
たとえば、
多即一、一即多
という、禅の真理があります。
シェイクスピア的に言えば
美は醜であり、醜は美である
汝は我であり、我は汝である
というようなことになります。
禅匠が弟子のおろかな質問に対して「いや、わしにゃなにも解らぬ」と、何かの論理に従って返答しているにもかかわらず、その振る舞いは普通の推理法や評価基準とまったく逆になる理由でもある。
人間の魂の直接の表現であるような芸術品を作ったり、そうする技術に熟達したり、また正しく生きる術をえんとする場合、そうしたものはみな真に「伝え難き」もので、すなわち論議を主体とする悟性を超えたものであるとあると禅は考える。だからこそ禅のモットーは「言葉に頼るな」ということになる。つまり、経験によってセンスを磨けってこったね。
しかし、先ほどの
多即一、一即多
の理解を誤ると、というか一般にこの言葉を想像する場合、汎神論を意味すると考えやすい。つまり、「一なり多なりというものが存在して、それぞれ一方が他方の中にある」という風に考えてしまいがちだ。続いて、悪は善であり、醜は美であり、不完全は完全であり、またこれらの反対も同じと考えてしまいがちだ。これは、万物に神性が宿ると考える人々の陥る推論で、禅の説明はこれに似ているように見えるため誤解されるが、まったく違う話なのだ。
これはこうだから、あれはああだから、、、ではこれはこうでしょうかといったら馬鹿者ということになる。
「多即一、一即多」はそれだけで絶対の事実を完全に叙述しているのだ。それを分析して概念的に構成すべきではない。月をみて月と判ればそれで十分だ。この経験は絶対だ。ということになる。そして、これを十二分に理解するために、この入門書が役立ってくれる。
全部は紹介できないけど
このように非常に難解な禅ですが、理解するには勉強し、経験するしかありません。途中で間違うような薄っぺらい知識であればちょっと勉強するだけでわかるかもしれませんが、この本を読みたいと思う人はきっと自分のセンスを磨きたいという人でしょうから、そうした方々が禅を学ぶと、いかに経験が大事か、そして分別のようなものが物事を細かく曇らせるか、というようなことがわかってきます。
センスを磨きたければ、禅を避けては通れません。まずは入門書から是非お読みになってください。
さいごに
と、上から目線で色々いったけど、僕はまだこれ以降、より難しい禅の勉強をしていません(ちょっと関係するものならいくらか勉強しましたが)し、いわゆる禅の修業をしにいったことをありません。いつかやりたいと思っていますが。とはいうものの、当然読んで影響を受けた部分はあります。偉そうに書きましたが、そんなもんです。
ではまた